「3億4千万ですか、チョット少ないけれど何とかなるかも知れませんね。」
数回訪れてミーティングを重ねたその建設コンサルタント社長は呟いた。その時同席していた私はそれが何の意味なのか理解できなかった。

老舗で伝統建築の温泉旅館「館山荘」に20代後半から雇われ5年ほどたち、私はフロントのチーフを任せられていた。その頃の温泉街は団体旅行ツアー客や修学旅行、盆正月やゴールデンウィークには家族旅行の予約で何処も満室になっていた。それぞれの旅館の経営方針があるので、客層の違いはあり、建物客室のグレード料理の質もそれぞれなので、同地域内でライバル関係であったのだが大型団体の共同受託なども行っていて会議や同行営業で他の旅館の営業担当さんや経営者と顔見知りになる機会も多かった。そんな中、懇意になり度々お酒をご馳走になり話し込むと、仕事の事や音楽の話をしで盛り上がり私より5歳ほど年上だが仲良くしていただいた老舗旅館「喜代野屋」の上野社長から呼び出された、「仕事終わってからゆっくり話がしたいから泊まるつもりでおいでよ」何だろなあ、まぁ何時ものように音楽の話で盛り上がるのかと楽な気持ちで出かけた、今まで何回も呼び出されて酒飲んで食べてとやってたがだいたい乾き物と軽いツマミだけで安くあげていたのに今回はオードブル風の料理や刺身も並んでいる、なんか何時もの軽い感じではないなぁとちょっと警戒しながらビールを飲みはじめた。2杯目をサーバーから注ごうとしたら、「ちょっと待って」見慣れない瓶のビールが出てきた、その頃の巷で流行りはじめた地ビールだ、「今度地ビール事業を始めたいから手伝ってくれないか!」本格的に麦芽から作るのではなく、『麦汁』を輸入して、ペレットに加工されたホップを使えばチョットの研修を受ければ醸造できるそうだ、「コーラ作るより簡単だってよ」何処でそんな話を仕入れてきたのか判らないが、そんなに旨い話は世の中には無いよと思ったし、 流石に今勤めている旅館「館山荘」への恩義もあるので即答はしなかった。それからというもの自分がどれだけビールが好きか、レシピがどんな感じかとか、ビアレストランをこんな感じ感じで建てて、醸造所をレイアウトしてタンクをこう置いて見せる醸造所にして、とか、いろいろ資料とか手書きの略図とか見せられながら、気付いたら午前3時を過ぎていた。その日は少し考えさせてくださいと返答して床に着いた。
次のは休みだったので、その頃の貧弱なインターネットを使って調べると確かに麦汁輸入して作る地ビールも各地にあり難しい技術はいらないようである。1週間ほど悩んだ、「館山荘」への恩義を感じているし、新しいことに挑戦できる魅力もある、散々悩んだ挙句転職を選んだ。